Notes from the Moon -3



2010 4/21  月面に浮かび上がる「X」

    月面に浮かび上がる「X」
    2010年4月21日18時53分に自宅にて筆者撮影。口径18cm望遠鏡をデジタルカメラで覗いた写真


    月面を望遠鏡で見ていると、さまざまな地形があり見飽きません。
    同じ地形でも、別の日には太陽が照らす角度の違いで異なった様相を示します。

    半月前後の月面、とくに欠けぎわの部分を見ると、太陽が浅い角度で地形を照らすため、地形の影が伸び、 凹凸が強調されます。広角の接眼レンズで見ていますと、月の近くを飛行する宇宙船の窓から見ているような眺めです。

    そして、太陽光のあたり具合では、月面地形がおもしろい形状に見えることがあります。

    上の写真はそのような例です。欠けぎわに「X」の文字が見えていますね。このおもしろい地形、 半月の頃いつでも見えるわけではありません。ちょうどよい角度で太陽光がその地形を照らす必要があります。 その時間帯は数時間くらいなのですが、そのとき太陽が沈んでいて、月は空にある程度の高さで見えていなければなりません。

    となると、「X」の文字が見られる機会はかなり限られてしまいます。 2009年春、月面「X]のことを知りました。なかなかおもしろそうな眺めなので、 見られそうな日時を計算したことがあります。

    月面「X」が見られそうな日時

      2009年5月31日(21時前後)、11月24日(19時前後)

      2010年4月21日(19時前後)、12月13日(18時前後)

      2011年2月11日(1時前後)△、10月4日(22時前後)

      2012年1月1日(18時前後)、2月29日(23時半前後)、4月29日(0時半前後)、6月26日(21時半前後)、 8月24日(19時前後)、10月22日(20時半前後)

      2013年 1月19日(17時半前後)、3月19日(21時半前後)、5月17日(20時半前後)、11月10日(19時半前後)

      2014年 4月7日(18時前後)、11月29日(19時前後)

      2015年1月28日(0時半前後。西の空。27日夜遅く(23時くらい)から注目)、 7月23日(23時前後。西の空)東日本では△、12月18日(18時頃)

      2016年2月15日(22時前後)、4月14日(23時前後)、 6月12日(21時半前後)、8月10日(20時前後)、 10月8日(22時前後)△

    などです。(△は、夜遅くなり、月の高度が下がり、観察条件がよくないもの)

    詳しくはこちら


    家庭用の天体望遠鏡で確認することができますので、みなさんもぜひ、 月面「X」を鑑賞してみてください。











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2010 5/6  「『科學小説』神髄」

    「科學小説」神髄  アメリカSFの源流 (1995)  野田昌宏/東京創元社                

    という 本をゴールデンウィーク中に読んでいました。

    たまたまWebで見つけた本です。レトロな雰囲気に惹かれ、ぜひ読んでみたいと 思ったのですが、絶版であるため、市の図書館から借りてきました。

    公共図書館の所蔵図書の検索や 図書の予約状況など、インターネットで確認できるのは本当にありがたいです。


    豊富な図版を交えながら、 アメリカの SF の流れをたどっていく、紹介していくという内容の本です。巻末には索引もあり、調査にも役立ちそう。

    面白さを感じたのは、まず、19世紀中頃から20世紀初頭にかけて流行したという ダイム・ノヴェルという 安価な読みきり小説のなかに、 発明もの、科学冒険ものがけっこう含まれており、 エッチング風の挿絵がなんともいえない魅力をかもし出していること!

    そのなかの、 かなり作品がルイス・P・セナレンズという作家が書いていた、 というのも興味深いし、あの ジュール・ベルヌも彼の作品に注目していたというのです! (手紙まで出している)

    やがて、1920年代後半に入り、世界初のSF雑誌 アメージング・ストーリーズ が刊行される時代になると、今読んでも楽しそうなアイデアの作品が次々に現れてきます。

    その中でもとくに印象的だったのは、1926年12月号のアメージング・ストーリーズに掲載されたという サミュエル・M・サージェントの「テレバシー探知機」という作品。

      人間ひとりひとりが固有のテレパシー波を出しているという話。

      生き別れた弟を探すため、テレパシー探知機を発明した科学者が、ついに弟にめぐり合うものの、 弟は希代の悪党となっており、死刑執行となる日を迎えていた。

      弟からのテレパシーが延々と続き、電気椅子で処刑が終わった後も、弟のテレパシーは消えることなく 送られてきた。肉体が死んでも意識は依然残り続けるというわけで、絶えることなく送られてくる テレパシー波に耐えられなくなった科学者はついに装置を破壊してしまう、という結末です。


    ところで、著者の 野田昌宏さんは、 2008年6月6日に肺炎のため、74歳で亡くなられています。 (資料:1 2経歴


    野田昌宏さんの初の翻訳本、 エドモンド・ハミルトン「百万年後の世界」講談社  を子どもの頃、手に取った記憶があります。

    たぶん1994年、開館直後の 多摩六都科学館で開催された 日本プラネタリウム研究会という全国組織の総会で、招待講演として、 野田さんが「魅力ある科学館とは」のような話をされたことを覚えています。

    その中で、「立派な展示物が並んでいても、説明をしてくれる人がいない科学館より、 展示物が少々古くなっていようと、親切に説明してくれる人がいる科学館がいい!」 ということを話されていたことが今でも印象に残っています。

    その後まもなく(だったと思いますが)、渋谷で開催されていたデータベースの講習会でも 野田さんと偶然お会いする機会がありました。

    NHK教育テレビで1998年に放送された 宇宙を空想してきた人々−SF史に見るイメージの変遷 も毎回楽しく見ていたことを思い出します。



関連ページ

The Origins Of American Science Fiction

SF美術館









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